東漸寺
東漸寺(とうぜんじ)
東漸寺は朝日将軍として知られる木曽義仲から19代目と云われる戦国武将木曽義昌公の供養塔ある寺として知られてます。
もともとは天正18年(1590年)に下総網戸城に入城した後、城内の一部に木曽家累代の菩堤所として建立された寺です。
南側の県道71号線沿いや入口の脇には大きく「木曽義昌公廟所」と書いた標柱があります。

東漸寺の境内が網戸城の跡であるといわれていますが
平地に築いた平城のため山城と違いその痕跡もとても少ないです。
当時の網戸は、「椿の海」の畔で低湿地であり、石高も僅か一万石にすぎなかったといわれます。
一万石の城主ですと実際には城というほどの規模ではなく陣屋(お屋敷)くらいの規模なのではないかと推測されています。
境内の西側と北側には、堀の跡とらしく少し凹んだ地形ががずっと続いています。
東漸寺の入口です 木曽義昌公廟所と大きく書いてある。

東漸寺にある供養塔です。

悲運の戦国武将木曾義昌、夫人真理姫 並びに木曾家代々の墓と3つ並んでいます。
桜の好きな木曽義昌公のために桜が植えられてます。桜の名所でもあり
木曽義昌公の墓の前や周りには桜並木の参道ができています。
東漸寺では義昌死去の3月17日に毎年供養を行っています。
木曾義昌公400年遠忌記念碑

現在の東漸寺は改修中です。

(改修が終わり次第キレイになった東漸寺の画像アップしますね)
鎌数伊勢大神宮
鎌数伊勢大神宮(かまかずいせだいじんぐう)

寛文年間にかつてこの周辺にあった「椿の海」と呼ばれた湖が伊勢桑名藩士辻内刑部左衛門等によって干拓した後、三重の伊勢神宮から勧請された由緒ある神社で匝瑳、海上、香取の三郡にまたがる干潟八万石の総鎮守です。
寛文11年(1671年)伊勢内宮荒木田神主梅谷左近太夫長重の創建であり、その後梅谷家が宮司を務め現宮司は12代目となる。
・昇殿参拝、御祈祷、外祭等は随時行ってます。(要予約ですので事前に予約を)
毎年、「鎌数の神楽」が3月27日、3月28日に境内の神楽殿奉納されます。

この神楽は江戸中期の宝暦6年(1756)から続く神楽で、五穀豊穣・村内平穏を祈願します。
昭和40年(1965年)に千葉県の無形民俗文化財に指定されています。

宝暦6年(1756年)から続く、猿田彦・うずめ・おかめ・手力雄命・八幡・荒神・榊葉・田の神・保食神・種子蒔・鯛釣り・出雲切り、の演目から成る下総十二座神楽である。
また、弊束の舞・扇の舞、という稚児舞も奉納される。

稚児舞の出番をそでで待っている女の子。
大祭日には、多数の露天、特に植木が多く販売されています。

鎌数の神楽の時間は、午前11時頃から神社とともに伊勢から移ってきたと伝えられている薄田家から猿田彦を先頭にして出演者と神楽師、稚児の一行が神社へ向かう御練りがはじまります。
その後、午後12時から境内の神楽殿において神楽が奉納されます。間に休憩を入れながら午後5時過ぎまで行われます。太鼓・鼓・笛による演奏が豊かな風情を感じます
境内にある夫婦杉


落花生の碑

落花生の由来の解説板

千葉県旭市鎌数4314
JR東日本総武本線干潟駅から徒歩15分

国道126号線沿いにあります。
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