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木曽義昌公史跡公園(市指定史跡 木曽義昌公遺跡)

史跡木曽義昌公史跡公園までのアクセス

国道126号線をショッピングセンターサンモールから東(銚子方面)に進みユニクロ千葉旭店を過ぎるととすぐ右手に木曽義昌公史跡公園のゲートがあります。

木曽義昌公史跡公園へのゲート
ゲート下には木曽義昌公の絵も描かれています。
木曽義昌公史跡公園へのゲート


木曽義昌公について


天文9年(1540年)、木曽義康の長男として生まれ信濃国木曾谷を領有していた
朝日将軍として勇名を馳せた木曽義仲の子孫となる戦国武将です。

天文九年(1540)木曾福島城主の木曾義康の長男(宗太郎と呼ばれ)として生まれました。

木曾氏は豊富な美林と交通の要衡を押さえていたものの、
山国のため、水田と領民が少なく周辺燐国はいずれも強国で、義昌の生涯は隣国との駆け引きと戦いに明け暮れたたいへんな日々だったといわれています。
木曽家の主として、武田信玄・勝頼、織田信長、徳川家康、後に太政大臣となり、
豊臣の姓を称する豊臣秀吉などの間で勢力をつけました。


ですがその後の天正18年(1590年)秀吉の北条氏征服のための小田原城攻めに、
息子の義利を代理として参加させたことが疑惑の目で見られることになり
同年8月に豊臣秀吉に命じられ、山国である信濃国木曾谷から潮騒の地である下総蘆戸城(旭市網戸)へ一万石で移封されこの地方を治めることになりました。(木曽谷の領地は失った。)

その5年後の文禄4年(1595年)3月17日に、病のため56歳で木曾の地に帰ることなく波乱に富んだ生涯を終えました。(木曾氏はその子、木曾義利の時に廃絶されてしまいました。)
遺体は城の北西方の椿湖に水葬されました。

わずか5年の在世でしたが、木曽義昌公の網戸での徳政に満ちたまちづくりは、400年以上の歳月を経た現在でも旭市内で語りづがれています。


毎年八月に行われる七夕まつり時には義昌公を偲び、市民が武者に扮した時代絵巻の「武者行列」が行われます。


水葬された椿湖は、後に干拓されましたが墓のある一帯であるこの地は、木曽義昌公史跡公園となり
国道の喧騒の中の憩いの場になっています。

木曽義昌公の墓木曽義昌公の墓

木曽義昌公史跡公園
ベンチなどもありとてもくつろげます。


木曽義昌公史跡公園横には名所旧跡として石碑、銅像も建立されています。
木曽義昌公史跡公園木曽義昌公史跡公園

居城跡に建つ東漸寺には木曽義昌と夫人真理姫の供養塔もあり。東漸寺では命日である3月17日に毎年供養を行っています。

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