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旭市の歴史

旭市の歴史

旭市の歴史について

旭市のある関東平野の九十九里海岸低地が形成されたのは、今から四千から五千年前といわれています。

これまで市内では縄文時代の遺跡とみられる痕跡が数ヶ所見つかっていて
かなり古代からこの地で人々は生活をしていたものと思われます。


また大塚原古墳からは弘文天皇妃 耳面刀自(みみもとじ)媛とみられる人骨も出土しています。
この地域当時は海抜10m以下の低地がほとんどで、椿海とよばれる湖が広がっていたそうです。


戦国時代の末期、豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼすと、
その傘下でそれまでこの地域を支配していた千葉氏一族も滅び、
後に下総国海上郡1万石に配置されたのが、木曽義仲の19代子孫、木曾義昌でした。
善政をしき永く人々に語り継がれる領主でした。
木曾義昌の像
史跡木曽義昌公史跡公園にある木曾義昌の像


木曾義昌の没後250年忌の頃の1852年 義昌の旧跡を訪れた京都の学者で歌人の 野々口隆正後に大国隆正と称した)が
「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに跡とどめけむ」という和歌を詠んだ
野々口隆正の和歌
史跡木曽義昌公史跡公園にある和歌が刻んである石碑

明治22年、4つの村(網戸村、成田村、十日市場村、太田村)
を合併して新しい町が誕生した時、昇る旭の躍進と木曾義昌を偲んだ野々口隆正の和歌の旭から
「旭」という町名がつけられ 旭という地名は生まれました。

更に江戸時代中期に入り、北部に広がる広大な湖、椿海の干拓が始まりました。

その後、干拓によって、周辺各村は用水源を失ってしまい、溜池や惣掘を造成しましたが、
水田用水に悩み続け、300年後の大利根用水工事の完成を待たなくてはなりませんでした。
1939年(昭和13年)に起工した大利根用水工事が終了したのはなんと戦後に入ってからです。

この干拓地は干潟八万石と呼ばれ、現在では首都圏の食料をまかなう東総の大穀倉地帯となっています。


1954年7月1日 海上郡旭町が市制施行し旭市となり

2005年7月1日 旧旭市と香取郡干潟町、海上郡海上町 飯岡町が対等合併し新しい旭市となった。
(旧旭市の人口は約4万1000人、面積は50.61km²)

その際新しい市名の候補は 決定した旭市の他に あさひ市 海上市 飯岡市 椿市 東総市 しおさい市 みどり市がありました。

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